吾輩の独り言

X太のサッカー生活を支える吾輩。
憂鬱なぼやきを並べ連ねる。

馬鹿な議論

「怒鳴るコーチは是か。否か。」


こんな問いに答えはない。

なぜなら、何に対して怒鳴っているかも明確にせずに

怒鳴る行為だけをクローズアップしても始まらない。


吾輩はコーチではないが、仮にコーチだとして

試合中にチームメイト同士で喧嘩を始めたら恐らく怒鳴る。


小学生2年生を前提に考えると、

大抵のプレーは許されてしかるべきだが、

普段はいつも一生懸命やっている子が、

一生懸命やっていないなら恐らく怒鳴る。


だが、普段から一生懸命できない子に対しては怒鳴らない。

なぜなら、この子は一生懸命やろうと思い、葛藤している可能性がある。

怒鳴るという選択肢は恐らく間違っている。


では、さらにプレーに対して怒鳴るコーチはどうか?

これは、大抵のケースにおいて間違っている。


指導者は、個を高めるべきなのか。

指導者は、チームが勝てば良いのか。


答えはハッキリしているが、多くの指導者が過ちを犯している。

個を高めるのが最優先されるべきであり、

チームが勝つのはその次なのである。


「疑似高速ドリブル」の回でも述べたが、

サッカーの一般論など個性の育成からしたら邪魔にしかならない。

つまり、正しいとは限らないのだ。

何かが必ず正しい。そういう前提にたった指導者は怪しい。


吾輩は45歳だが、吾輩がサッカーをしていた頃と

現代サッカーは別ものだ。もはや別競技といっても良い。


サッカーは進化し続けている。

ならば、未来のサッカーは不確定である。

育成の現場は未来のサッカーに照準を合わせているべきだ。

そこから考えても、必ずこれが正しいなどと言い切れるものは何一つない。


彼らは何を怒鳴っているのか?

多くの指導者は、「このやり方が絶対正しい」という確信のもと、

それとは異なるやり方に対して怒鳴っているという事になる。


しかし、「このやり方が絶対正しい」という事はない。

つまり、その怒鳴るという行為が一人の選手の一つの可能性を潰すことになる。

そこから考えれば、試合中ではなく、練習中に

「今は、こう言う練習をしている。だから今はこうやれっ。」

と言うなら、良いことになる。


ただ、世の中には、勝てば良いという考えの指導者が大勢いるのも事実だ。

勝てば良いとなると、組織的な戦いを始める。

組織プレー中心論になり、個性は潰されてしまう。

勝利至上主義のチームの組織サッカーは

大抵ディフェンスを固めてカウンターを狙う。

ポゼッションできてしまう時は、ディフェンスでボールを回しながら、

隙をみて前線へ放り込む。



一方で、現代サッカーの最先端は、

ディフェンスラインを上げ合う狭いサッカーで、ポジションチェンジが目まぐるしい。

スペースの無い中でのドリブル突破あり、ショートパスあり、スルーパスあり、

どんなに固いディフェンスでも切り裂く攻撃オプションを持ち、

ハードワークした前線からのゲーゲンプレスを駆使する。

未来のサッカーはさらに進化する。


未来の最先端のサッカーが、どのように遷移するのかを予測して

そんなサッカーに対応できるような子に指導しようと思ったら

とてもじゃないが、チームの勝利は二の次になる。


勝利にこだわるのは、指導者ではなく子供達だ。

指導者は自分ではなく、子供達を勝利至上主義にさせることが重要だ。


集中し、全力でプレーするように仕向ける。冷静に考え必要があれば怒る。

逃げていないか。戦っているか。冷静にみて必要があれば怒る。

これが正しい、怒鳴り方だろう。


自分の頭で考えようとせずに、 昨日教科書で読んできたような一般論を武器に怒鳴り散らす。

何十年前かの自分の経験を武器に怒鳴り散らす。

何年、何十年の勝利至上主義の指導経験を武器に怒鳴り散らす。

これらは、少なくても少年サッカーには必要ない。

これが、吾輩の結論である。

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