吾輩の独り言

X太のサッカー生活を支える吾輩。
憂鬱なぼやきを並べ連ねる。

主義

何かに重きを置くとき。

皆が同じように考えるなら。。。

それは主義ではない。


他のことに価値があると考える人間がいて、

初めてそれは主義となる。


なぜ対立した考え方が生まれるかと言えば、

両方正しくもあり、

誤ってもいるからだと思う。


仮に、どちらか片方が圧倒的に正しく、

誤りがどこにもなければ、

全ての人間が、それを支持する。

もう片方の考えに存在意義はなくなる。

そして、どちらも主義とは言えなくなる。


つまり主義とは不完全なものなのじゃ。


サッカーの育成においても

主義の対立は沢山あるのぉ。


良く議論されてきたのが、

個人技か。否か。


仮に個人技偏重主義者であっても

いろいろある。


過去のインタビューだが、

メッシがこんな事をこたえていた。

『ボクは小さい頃から、一度もドリブルの練習をした事がない。』


サッカーはサッカーをすることでしか上手くならない。

こんな考え方がある。


メッシはこの主義に乗っ取り成功をおさめたのだろう。

ドリブル練習をしたことがないのではなく。

常に対人で実践練習を積み重ねてきたのだ。


一方で、反対側に立つ考え方もある。

サッカーの一場面をサッカーと離れて個別にトレーニングする。


チーム元気など足元のあるチームは、

これに取り組んで結果を出している。


どちらがあっていて、

どちらが間違っている。

そう言う代物ではない。


しかし、年代が上がっていくに連れて、

後者から前者へ大きくシフトするべきだと思う。


吾輩のザックリとした工程表の中で、

X 太はまさにこの時期(前者)へ突入している。

真っ只中と言っても良い。


より寄せが早く、

より当たりが強い相手に

何度なく仕掛けて

間合いや幅、身体の使い方、判断のタイミングなどを、掴む時期だった。


そんな中で、

今度の骨折は、衝撃的だった。


X 太の身体が、

この工程に耐えられないのならば、

サッカーを辞める以外にない。


少なくとも、

個人技偏重主義者であり続けることは難しい。


8人制ではフィールドは7人だが、

ドリブルを開始して4、5秒も経てば

相手選手の半数近くに囲まれて、

激しい寄せを受ける。


これを高い確率で破り、

ディフェンダを引き連れて

ペナルティエリアへ雪崩れ込む。

その状況から高い確率でゴールを決める。

これが目的地じゃったのだが。

達成するための道のりは

遠くへ離れてしまった。


この実践トレーニングは、

華奢な身体のX太には

想像以上の負荷を伴っていたと思われる。

相手選手からしたら

当たっても痛そうじゃないしのぅ。

当たりごろな選手になっていた訳じゃ。


だからこそ、

良い練習になっていたとも言えたのだが。。。


辞めるか。

主義を変えるか。

貫くか。


もうちょい。考えるが。。。

吾輩の結論は、少しずつ見えてきた。

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