吾輩の独り言

X太のサッカー生活を支える吾輩。
憂鬱なぼやきを並べ連ねる。

X太と特殊論

X太に特殊論を最初に仕込みはじめたのは

幼稚園の年長の終わりの頃だ。


練習も良くしていたし、
サッカー選手になりたい。
と言う夢を強くもっていた。


このころのX太の特性は、
なんと言ってもアジリティだった。
X太の憧れの選手はメッシ。


当時のサッカー界は、
スペインが牽引するティキタカが全盛だった。


リスクを負ったプレーを排除して、
距離感を保ちシンプルなパスを繋ぎポゼッションを確保する。


そんな中で、

あえて敵陣に切り込み活路を開く

そんなメッシのプレーは不思議だった。


一歩間違えば糞プレー。
多くの選手がリスクを回避したプレーを良しとするなかで、

リスクをリスクとは思わずに、大きなリスクを自ら背負い込む。


糞プレーと神業の違いは、
結果でしかない。


10人のディフェンスに対して、
中央突破を試みたとしよう。


これだけでは、
明らかに糞プレーだ。
しかし、

もし全てを突破してしまいゴールを決めたなら。。。


このプレーは最早糞プレーではない。




特殊論とは、もともと糞プレーだ。
糞プレーに結果が伴わないと、
0点になる。
しかし、狙って糞プレーをして、

結果が伴うと神業になる。
不思議な理屈だ。


ノーモーションも同じだ。
結果が伴わなければ最悪だ。
せっかくのゴールチャンスを潰してしまうだけではない。
『奴は蹴り方を知らんのか。』


こう言う評価になる。


中、高と進めば、

指導者と不協和音を生じることもある。

良くてベンチ要員。

悪ければベンチにすら座れなくなる。


こうなった時に、
『それでも俺が正しい。ゲームに勝つには俺が必要だ。』
そう言い切れるだけの努力をしているか。

それがモノを言う。
そうなった時に、特殊論を捨てるつもりなら

最初からやらない方が良い。


ただこれも真実だと思う。


進撃のレジェンド達は、

皆この境遇を通り抜けた者達だ。
同じ道を歩んだ多くの選手が、

不遇な人生に墜落していくなかで、

自分を信じて努力を重ね頂点へ辿り着いた者。

そんな選手だけが賞賛を手にする。


不遇か。賞賛か。
これを分けるのは努力でしかない。


C.ロナウドが、

ドーピング疑惑の中にあった時の名言がある。
『私がしたドーピングは、努力だけである。』


最近のX太は

特殊論を採用しても良いと思えるだけの努力をしていない。


一時的なものと信じているが、
このままなら、X太に未来はない。


X太には、もう後戻りできないぐらいの

特殊論を仕込んでしまった。
そう言う意味では、

努力をしなくった瞬間にX

太は糞プレーしかしない糞選手になる。


まぁ。仕方ない事なのだが。
神業と糞プレーは紙一重。
糞プレーしかしない糞選手になるのは、

一度でも神業を目指した者の宿命と言える。
その宿命を受け入れたくないなら努力しかない。


X太よ。努力せよ。

×

非ログインユーザーとして返信する