1段階目の崩壊(夢と現実の乖離)
本人が言うには3年生の1月の怪我だったという。
x太は自分のギブス姿を見て「もうダメかな」そう思ったそうだ。。
吾輩は1年間、その思いを知らなかった。
聞かされたのは4年生終わり、
シーバー病でチームを休会していた頃。
整体通い。交替浴。足首回し。振動治療。柔軟など。
味気の無いタスクを毎日繰り返していたが、
病気はなかなか良くならないまま、あの日を迎えた。
嫁が、吾輩に助けを求めてきた。
x太の素行のことで、学校から何度も電話がきてると云う。
まぁ。男だから、そんな事もあるだろう。
内心はそう思いつつも、
少しぐらい父親らしいところを見せておくか。
そのぐらいの気持ちだった。
息子を呼びつけて話しを聞こうとしたのだが、、、
思いもよらない方向へ展開していく。
x太は目を赤くしながら、
こっちにも話があると言う。
「お父さんは、シーバー病の治療にお金を沢山かけてくれるけど。。。」
「全然、良くなっている気がしない。」
「もう自分でわかる。俺はサッカー選手にはなれない。」
「シーバー病の治療は地味につらいし、もう全部やめたい。」
「サッカーボールも捨てていいっ」
「誰にも言ってなかったけど、3年生の骨折の時から・・・・」
その後もx太は何かを言っていたが。。。
もう吾輩のキャパを超えていた。
その先は聞き取ることが出来なかった。
今でも、あの日のことを思い出すと、涙が止まらない。
良くも悪くも、うちの家族はx太のサッカーを中心に回っていた。
あの日から、全てが変わった。
1ヶ月以上もの間、やめる、やめない。
この議論を繰り返した。
なんとか、続けさせようとする吾輩に対して
「俺は、父ちゃんのためにサッカーをしてるわけじゃない。」
こんなことを言うようになってしまう。
胸に突き刺さったのを思い出す。
それは、まだ突き刺さったままで、一生抜けることはないのだと思う。
息子のサッカーに干渉しすぎたと思い知った。
「少年サッカーは父親で9割決まる」
正確には覚えていないが、
そんなタイトルの本を街で見かけたことがある。
読もうとしたこはないし、中身も全く知らないが、
吾輩のような親父は害悪でしかない。
そんな事が、書かれているのだと思う。
だが、吾輩にはこんな想いもあった。
治療が苦しくて、辛くて、
こんな事を言っているだけなのではないか。
きっとピッチに戻れば、またやってくれるはずだ。
「x太をピッチへ戻す」
そんな道を来る日も模索した。
そして、もう一度見たかった。
ボールを従えてピッチを縦横無尽に走る姿を。
この後、病気が改善方向に向かうと、
かなり強気で前向きな発言もするようになり
x太はサッカーへの復帰を果たしたのだが。。
結局、その日はこなかった。
復帰したx太を待ち受けていたのは、
第2、第3の崩壊だけだった。